先週の土曜日、渋谷シネマアンジェリカにて、
4回目の「マイマイ新子」を見てきました!
上映前に、
ごんちゃんさんの作成した、
上映嘆願活動のチラシを、
劇場の方にお渡ししたところ、
「置く場所があれば」とのことでしたが、かなり好意的に受け取って頂きました。
ちょっと、その後、確認を取っていないのでどうなっているのかは分かりませんが、
そんなすんなり受け取ってもらえるとは思っていなかったので、かなり嬉しかったです。
嬉しすぎて、若干挙動不審になっていましたが、まぁ、御愛嬌ってことで。(すむといいなー)
そんなテンションで視聴した4回目の感想。
4回目ともなると、ストーリーを追うだけでなく、
背景や、モブの動き、ガヤなど、
どうもないがしろがちにしていた部分を細かく見ることが出来るようになりました。
で、改めて思ったことは、
隅々まできちんと作られた丁寧な映画だということ。
視線を話から背けても、映画世界そのものから注意を外すことなく、その世界のディティールを楽しめる。
むしろ、画面の中央から目をそむけているというのに、
今まで見えてなかった新子さんたちのいる昭和30年の防府の世界に、
より自分がそこいる、一緒に新子さんたちと遊んでいるような、そんな一体感が持てた。
主役たちを見ずに、ストーリーを追わずに、映画を見て、
より感情移入出来て面白いって……どんな映画だ、これは、と四回目は不思議な気分の96分でした。
そんな中、
今回、特に気になった吉岡さんについて。
決してストーリーの本筋には絡まないけど、
「ほーたっちょきさん」がなぜか気になる新子さんの隣の席のクールガール。
その一部では妙な人気がある彼女。
そんな吉岡さんが、
子どもが生まれたという担任の先生が来た時に見せた、楽しそうなニヤニヤ顔。
そのちょっとした表情に気付いたら、自分の中の吉岡さん像が一変しました。
クールな大人びた、表情の変わらない、
周りがどんなに騒ごうが、我関せずのニヒルな女の子だと思っていたのだけど、
実は、吉岡さん、
本当はただの絵が好きな内気な子なんじゃないか……。
そんな疑惑が思わず頭をもたげてきました。
あまり人とのコミュニケーションが得意じゃない、
感情を顔に出すのが苦手だから、
その代わりに自分を表現しようと思って絵ばかり描いている。
こういう子、学校に一人はいたなー、ていうか、私もそうだったなーと、
かなり恣意的な妄想のもとに、感情移入をしてしまいます。
自分の世界に閉じこもりがちで、絵ばかり描いていたら、
突然「上手いね!すごい!」と声をかけられることほど、
嬉しいことはなかったけど、同時に恥ずかしくて「それほどでもない」とか言っちゃうんだよなー、と
思いつつ吉岡さんを見ていると、
彼女も新子さんに同じようなことを言われて、やっぱり「それほどでもない」とか言ってるし。
ますます疑念は強くなります。
絵を描くということは、描く対象を観察することに通じるから、
それに長けた彼女の視線は他の子どもたちとは違うものになるのは必然で、
早熟な印象を受けることは確か。実際、色鉛筆騒ぎの時はかなり引いた目線で状況を見ている。
そんな彼女ではあるけれど、
新子さんたちの作ったまさに子供じみた遊びの極致である池に友達として遊びに来てたり、
子どもが生まれた担任の先生へのからかいに楽しそうに笑みを浮かべていたりもする。
もしかしたら、私の妄想かもしれないのだけれど、
散々、新子さんをクールにあしらう吉岡さんを描いて、
あえて大人びた少女を印象付けたすぐ後にあの笑顔を挿入したこと。
やっぱり、それがすごくひっかかる。
決して、物語の中心には関わってこない、
そればかりか新子さんに対し「ほーったちょきさん」と、
もう一人の主役である貴伊子と関わらないよう諭す。
物語論的に見ると、間接的に干渉を促す役割ではあるけれど、
作劇的にはそのまま、
ただの大人びた同級生ってだけで片付けてしまいがちなキャラクターを、
彼女の見せた一瞬の無邪気な笑顔を切り取り、画面に映すことで存在を掘り下げていることに、
この映画の描写力の凄まじさを感じてしまう。
あの頃は大人びて見えてたけど、今振りかえるとやっぱり年相応に子どもだった子を、
たしかに自分は知っている。
現実にこういう子どもは確かにいる。
架空の存在であるはずなのに、現実の子どもの重みを感じる。
たとえ、セリフも出番も少ない子どもであっても、その子の生きる世界の重さを描いている。
「マイマイ新子と千年の魔法」が丁寧な映画だというのは、そういう所だと思う。
背景がきれいだったり、考証がきちんとしていたり、モブやガヤが生き生きと動いているような、
そういった種類の丁寧さも確かにあるけれど、
キャラクターの生きる現実をきちんと描く、物語を作る上で当たり前のことを吉岡さんのようなキャラクターにまでやってしまう、
そんなところこそ、この映画が丁寧だと呼ばれる理由なんじゃないかな。
もともと、
「吉岡さん、カッコ良い! タツヨシの次にクールだぜ!」と、吉岡さんびいきだったのだけども、
実は不器用なだけかもしれない、子どもの頃の自分に似た子なのかもしれないと思うと、
なんだか急に吉岡さんのことが愛しくなってくるから不思議。
彼女はその後も絵を描き続けたのかな、とか、
「上手いね!」と言ってくれた新子さんのこと、きっと一生忘れないんだろうな、とか、
そんなことを妄想してしまう。
吉岡さん、好きだなー。
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